立ち上げにあたって

 先行する時代から、私やあなたの現在、さらには、私やあなたがすでに存在していない、これから生まれるだろう人々が生きる未来まで。このスケールは、私やあなたの個別的な時間=寿命を遥かに超越している。誰もが知っている事実だ。それにしても、この文を書いている2019年の夏、日常はあまりに速い。そのつど私の目の前にあり、いま私が経験する出来事、それだけが世界のすべてだ。多くの人が、そのように、生きるのに忙しい日々を過ごしているのではないだろうか。「私のいま」が、世界のすべてなのである。自分自身が生まれる前に喪失されたもの、これからやってくるものどころか、現実の時間において共生する他のものたちさえ、忙殺される視線は捉え損ねてしまう。

 瞬間瞬間の直接的な実感を(しばしば攻撃性をともなう)行動へと短絡し、閉ざされた世界と時間を消費していく様相には、どこかやり切れない閉塞感がある。あまりに速い世界は、神経を過敏にする。私と世界の接点は、細切れに過剰化する。その身体は、一方で世界から孤立し、他方で世界と触れ過ぎている。この二律背反的な状況のために、喪失されたものや、まだ知られていないものへの想像力は無力化されつつある。

 たとえば、とあるマルセル・デュシャンの作品(1917年)が、とあるロバート・モリスの作品(1963年)に動機を与えたとする。あるいはトマス・モアが『ユートピア』を書いた1516年の感性と、伊藤計劃が『ハーモニー』を書いた2008年の感性を同時に考えるとき、その時間的・地理的・精神的な距離に目配りしながらも、何かを記述することはできないだろうか。あるいは、2020年の東京から、2019年の東京を想像的に逆照射してみることもできるかもしれない——。

先行する時代と現在、さらには未来をも含めた大小の「文脈」を提示する営みは、批評の想像力であると思う(たとえば、ある一貫性をもった「ジャンル」の意識は、こうした想像力の積み重ねの産物でもある)。それは、異なる複数の事象の間に、何らかの必然性を発見する作業だろう。たとえて言うなら、「視差」を通じて獲得されるようなストーリーラインである。一方で、歴史が教えるように、こうしたストーリーラインが国家権力や、素朴だが支配的な空気のようなものによって既成事実化を施される場合、それは教条化・同調圧力・恐怖の創出といったものの源泉となる。

 それゆえ、ストーリーラインを編む想像力は、つねに瑞々しい経験をともなうものでありたい。私と世界の接点が神経過敏的に衝突するのでも、強制的な束へと統合されるのでもなく、互いの生を、その距離感を確かめるように歩み寄る「接線 tangent」から構成される言語のありようを目指したい。

 「TANGENT」は、このような動機から立ち上げる、芸術・文化批評の発信環境である。2019年、「引込線/放射線」プロジェクトへの参加企画として出発する。ここでは、複数の時間・事象を結びつけ、あるいは差異を認めていく、思考のエクササイズが試みられていくだろう。実証的なリサーチにとどまらず、時代を越境した響きあいや緊張関係に触発された言葉も受け容れながら、各々の書き手が批評的エッセイを執筆する。「引込」と「放射」が斜線を介して入れ替わり、求心性と遠心性が呼びかけあうようなニュアンス、その伸び縮みの感覚には、「視差」の運動、そして「接線」の比喩を呼び覚ます何かがある。


2019年9月
勝俣涼(企画者)