1945 / 1951

イサム・ノグチの「終戦年」から

文=小林公平

 美術家イサム・ノグチ(1904-88)は石の彫刻家として、また庭園や遊具、家具のデザイナーとして、あるいは実現することのなかった「広島メモリアル」の設計者として知られている。その作家像には、アメリカ人の母と日本人の父との間に生まれたという日米二重国籍者としての出自や、生涯を通じて世界中を旅し、幾度となく住処を変えたという「宿命の越境者」としてのエピソードが付随して語られてきた(*1)。だからこそ、1940年代の日米間における戦争と、その終戦、および関係修復は、ノグチにとっての最も重大な社会的事象として挙げることができるだろう。

 1945年8月6日、アメリカ軍によって広島に原子爆弾が投下され、その3日後の8月9日には長崎にも原爆が投下される。それから約1週間後の8月15日、日本の無条件降伏によって太平洋戦争は終結する。この終戦から5年が経過した1950年、ノグチはアメリカからの調査旅行の過程で日本を訪れた。そして、その翌年の1951年には建築家の丹下健三から依頼を受け、当時建設中であった広島平和記念公園内に、原爆による犠牲者のための慰霊碑「亡き人々のための記念物」(以下:広島メモリアル)を構想した(*2)。この設計案は、地上と地下の二層で構成された。地上部には勾玉を想起させるアーチ状の碑、地下には犠牲者の名簿を安置する慰霊空間が設けられており、また地下空間の両端には、地上のアーチの二本足が大地を貫いて図太く延びている、という意匠であった。今日見ることのできる原爆慰霊碑がこれとは異なる姿を見せていることからも察せられるとおり(*3)、この構想は実現していない。ノグチが(原爆投下の当事国である)アメリカの国籍を保有していたという理由から、案が却下されたためだ。

 この慰霊碑の祈念する事件が起きた当時、すなわち原爆が投下された終戦年の1945年にノグチはどこで、何をしていたのか――あるいは、芸術家としての活動はあったのか。ノグチはこの戦時期をアメリカで過ごしたが、その出自から当時厳しい立場に置かれていたことは想像がつく。また、そのことが彼の活動を萎縮させていたとしてもおかしくないだろう。だがこの美術家のいくつかの画集をひらけば、彼がこの戦時期にも制作の手を休めていなかったことは容易に理解できるのだ。ノグチは1942年から49年の期間、ニューヨーク、グリニッジ・ヴィレッジ近辺の袋小路、マクドゥーガル・アレイにアトリエを構えて活動を続けており、また複数のグループ展に参加するなど、ほかの芸術家とも積極的な関わりをもっていた。

 1945年前後の期間におけるノグチの主要な芸術活動として挙げられるのが、「インターロッキング・スカルプチャー(Interlocking Sculpture)」と呼ばれる作品群の制作だ。「インターロッキング――」は、人骨や象形文字にも似たシルエットの板状のパーツが複数組み合うことで構成される立体作品である。材料となる石板が当時のニューヨークで安価かつ大量に入手できたことから、1944年から49年の間、ノグチはこのシリーズに集中的に取り掛かっていた。

 「インターロッキング――」は板状のパーツ群が貫通し合って成立するが、その構成原理は、アーチが大地(すなわちプレート、板)を貫いているという点において、1951年の「広島メモリアル」の設計意匠に引き継がれているとも理解できる。また、「インターロッキング――」の作品パーツの一部には、「広島メモリアル」のアーチに類似する形象が見られるということも無視できない。丹下ら平和記念公園の設計委員会は、ノグチに慰霊碑の設計を依頼する際、意匠上の条件として「その核の部分すなわち物故者の名を納める所」を「地下に」設けることを提示した(*4)。地上に付随する地下空間――あるいは地下に伴う地上部――の設計。この課題に対するノグチの応答とは、地上・地下の二層が分断されるのではなく、その両者が一つの駆体すなわちアーチによって貫かれるという構想であった。

 岡﨑乾二郎らの研究チームによって模型の再制作が行われたことも手伝い(*5)、この「広島メモリアル」はノグチの代表作のひとつとして、今日なお衆目を集める。だが一方で、1945年におけるノグチの制作活動をめぐる問題が、51年の慰霊碑設計を照射する形で取り扱われる機会は、管見の限り多くない。1940年代に日米間で起きていた出来事は、両国の二重国籍を保有していたノグチにとってとりわけ重要な意味をもっていたと言える。ならば1950年代、来日以降の構想である「広島メモリアル」を論ずるとき、その碑の契機となる事件が起きた時期に彼が何をしていたのかを顧みることは、無駄ではないだろう。「1945年におけるノグチ」は、その6年後の「広島メモリアル」を考察するとき、改めて振り返られるべき問題である。

<注釈>

(*1)ドウス昌代『イサム・ノグチ 宿命の越境者』(上下2巻)2000年、講談社
(*2)「広島メモリアル」の設計時期については諸説あるが、ここでは越前俊也による論文「イサム・ノグチの《広島死歿者記念碑》案 ――その制作期間と起源について――」(『文化学年報 第62輯』(2013、同志社大学文化学会)所収)の記述に拠った。
(*3)現在の広島原爆慰霊碑は、丹下健三の設計による。
(*4)イサム・ノグチ『ある彫刻家の世界』小倉忠夫訳、1969年、美術出版社、71頁
(*5)展覧会「Et in arcadia ego 墓は語るか:彫刻と呼ばれる、隠された場所」(2013年、武蔵野美術大学美術館)にて、再制作の模型が出品された。

〈掲載日:2019年9月11日〉


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こばやし・こうへい
横浜国立大学大学院都市イノベーション学府 在籍