1774 / 1920

問いの想像力を持つために
〜宗教から「人間らしいもの」を考える〜

文=丹治圭蔵

 時代を点としてみることには大きなリスクが伴う。ややもすれば、その時に起きた特異な事例同士の比較になってしまう可能性があるからだ。そこに普遍性はなく、時代を正確に捉えたものにはなり難い。出来事を点とし、それらを繋いで生まれる線が、視差を引込むためのトリガーとなり、新しい視座をもたらすのだろう。このことに留意して、着地点を設定しない文章を書いてみる。

 西洋で生み出された機械人形を指して「オートマタ」と呼ぶ。語源であるギリシャ語の「Automatos」は「自らの意思で動くもの」という意味合いを持つ言葉だ。人形の内側に組み込まれた歯車や滑車、ゼンマイなどの動力を伝えるための機構がそれぞれの役割を果たし動く。製作者が丹念に人間の身体的な動きのロジックを分析し、その行為を模倣するかのように機構を組み込み、人形の動きとして表出させる。

 1774年にスイスの時計職人ジャケ・ドローによって発表された《The Writer》というオートマタがある。西洋人の少年の人形が、椅子に座り羽ペンを持ち、インクをつけて自ら文章を書く。カムを変更することで、文章の変更も可能になっている。命令によって出力が変わるその仕組みは、プログラミングのそれと同じだ。彼は文字を追うかのように目線を動かし、ゴミを取り除こうとするかのように鉛筆の先を吹く動作をする。

 だが、精巧であり、抜け目のない美しさを感じさせる一連の動きは人形の「意思」によるものではなく、人間が与えた役割を粛々と行なっているに過ぎない。

 そこから時を経て、1920年。チェコの小説家でジャーナリスト、カレル・チャペック(1890-1938)が戯曲『R .U .R .(ロッサム万能ロボット商会)』を発表した。この作品は「ロボット」という言葉を、世に送り出したことで知られている。人間が人間に準ずるもの(ロボット)を生み出すという長年の夢を叶え、ロボットに労働を代行させていくという筋書きだ。彼らロボットは、事務員として、肉体労働の従事者として、一体につき二人半の人間の労働者に置き換えることができる安価な労働力だった。やがてロボットは人間によって意思を与えられ、滅亡の危機を経て、愛する気持ちを得るようになった。このストーリーが実に予言的で、現在のAI技術の発達によって、リアリティを持つようになったことは言うまでもない。

 ロボットやオートマタは人間に近いものであるというある種の禁忌的な側面から、人文学と科学の狭間を横断するトピックとして議論の対象となり、想像力と好奇心を掻き立てる、未来への推進力としてあり続けている。

 1774年と1920年の間、146年の時を隔てて、機械と戯曲というフィールドの異なるそれぞれの場所で《The Writer》と「ロボット」は稼働している。ここで注目できるのは、単なる技術や表現メディアの差異ではなく、キリスト教の宗教哲学からみる生命倫理の観点だ。聖書や教義の解釈のみで、抽象化されてしまった「キリスト教」ではない、スイスとチェコという地域性を踏まえた宗教の多様性が存在する。

 キリスト教では人間は神が造ったものであり、神が決めた自然な生殖のままに人を生むのが正しいと考えられている。故に、「ロボット」や機械人形のような人間に似たもの、あるいは人間そのものを造ろうとするのは、人間が神になろうとする行為であり、それは冒涜であるとされる。この構造は理解しやすくはあるが、一般的でぼんやりとしたものでしかない。時代を超えた想像力は歴史を丁寧にたどることで得ることでしか得られない。スイスとチェコについて、個別に見ていく必要がある。

 スイスは16世紀に宗教改革が起こり、対立の歴史ののち、ジュネーヴがプロテスタントの拠点となっていった。そこで盛んだった宝飾細工は贅沢を禁じ、保守的な傾向のある新教の厳しい戒律により衰退していたが、時計技術を持つプロテスタントの流入により、二つの技術が合体し産業として発展するにまで至った。現在では、カトリックが多数派であるものの、プロテスタントの信仰も根付いている国である。

 一方チェコは反宗教的な性質を持つ無信仰の国家として非常に有名である。元々、カトリックの国であったが、1918年以降のチェコスロバキア時代初期の共産主義思想から、宗教を否定するようになる。それにより、現在の民主化までの過程においても宗教との繋がりが希薄となった背景がある。

 この2国の宗教についての歴史を踏まえ、作品について考えると、《The Writer》には前述のようにプロテスタントの生命倫理観的にグレーゾーンである指摘や反発があっただろうと予測することができるし、一方、『R .U .R .』における「ロボット」には「人間とそれ以外」という社会の構造や宗教思想への疑問、そこからの脱却を促されているような気がする。故に、人間らしいものの価値は、立ち位置を設定しなければと思わせるその危うさにあるのではないだろうか。《The Writer》と『R .U .R .』に対する私たちの眼差しは、メタファーを持つおとぎ話や民話やように機能し、任意の問題を立ち上げる。その過程で必然的に人間自身の挙動にもスポットが当たることは作品の持つ一つの効果だ。《The Writer》の執拗な人間の動きを追求する情熱はどこから生まれ、どうして『R .U .R .』のロボットが人間と同じように心を持ち始めたのか。これらは人間との比較が必要な問題群である。歴史の線を忘れず、作品を捉えることで生まれた問いは突飛にならず、適当なロジックを持って解答できるだろう。

〈掲載日:2019年9月29日〉


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たんじ・けいぞう
武蔵野美術大学 芸術文化学科 在籍